長崎旅行記 2019/01/17-21



訪問先一覧

念願の長崎は前泊含めて2019年1月16日から21日まで訪問してきた。
 上記の写真は訪問地一覧ですが、主な訪問先は、被爆関係9ヶ所、切支丹関係11ヶ所、長崎駅周辺と東側の歴史地区6ヶ所、長崎駅南側の歴史地区8ヶ所、長崎の坂4ヶ所、長崎湾夜景の3ヶ所など40ヶ所を廻った。

長崎スマートカード 2019/01/17

バスや電車など交通系ではsuicaが使えない。長崎市だけに通用するプリペイドの「長崎スマートカード」を購入した。
 これは女房と二枚買わなくとも一枚で数名が利用できる。最初は3000円だが、途中で積み増す事ができるが、5000円位で間に合うと予測して調達した。結果的に大活躍もしたし、5000円で350円余ったので、空港までのバスで精算した。
 長崎の方は利便性が高いのであろう、ほとんどの方が利用していた。路面電車では他の路線への乗り継ぎも同一金額で良いし、どこまで乗っても120円と安く問題はなかったし利便性が高かった。

満足だったホテル 2019/01/17

個人旅行として申し込んだホテルは、現職時代の出張含めて初めての広くて清潔な大波止のホテルであった。
 なんとソファーが付いており広さは抜群。アメニティは揃いすぎるくらいあった。加湿清浄機もお好みにセットできた。朝食付きを予約したのだが、バイキングとしては多くの品揃えで美味しかった。コーヒーやリフレッシュ飲料も無料で24時間飲み放題も良かった。四連泊すると違うのかなと思った。


「長崎被爆」の巻

長崎平和祈念像 2019/01/17

あまりにも有名なので、どうしようかと思ったが、記録だから載せることにした。
 天を指す右手は「原爆の脅威(長崎の過去)」を、水平にのばした左手は「平和(長崎の未来)」を示し、軽く閉じた瞼は戦争犠牲者の冥福を祈っている。と書いてあった。

原爆資料館 2019/01/17

原爆資料館ではファットマンと呼ばれる原爆の模型図を見たが、外観は高さ3m強、直径2m弱の大きさに比べて中心にあるプルトニユームは本当に小さなものだった。

原爆資料館内正面にあった被爆した浦上天主堂の遺構

原爆青年乙女の会碑文 2019/01/17

原爆資料館の前に原爆青年乙女の会碑文があり、その碑文が単純だが、解りやすくて気に入った。
 碑文 戦争は国を滅ぼす 核兵器は地球をなくす 世界を担う若者よ 未来へ平和をつないでほしい

浦上天主堂 2019/01/17

被爆後再建された日本最大規模の浦上天主堂

大きな献金箱があったが、絵はがきを購入した。

被爆の大クスと片脚鳥居 2019/01/17

山王神社の境内入口にそびえる2本のクスノキは、樹齢約500年以上で、幹囲が6メートル以上の大樹だが、被爆で樹高は低い。被爆で枯れ木だったが、新芽を芽吹き、東西南北25メートル以上の大樹木に感動した。
 それにしても長崎市はクスノキが多いのだろう。数人に聞いたが明快な回答は得られなかった。長崎は樟脳の生産が多いと聞いたが、樟脳の原材料であるクスノキが多いからかな?

片脚鳥居も爆風で笠石がねじれ、左半分が吹き飛ばされた。右半分だけの一本柱の状態で倒れることなく残っていた。

永井隆記念館と如己堂 2019/01/21

原爆とともに生きた医師で作家の永井隆記念館を訪問し、その生き様をビデオ鑑賞した。
 被爆者の直接レントゲンで白血病になり、それと戦いながら被爆者の治療と被爆記録に精を出し、若くして亡くなった姿勢に、こういう人がいたんだと脳裏に刻んだ。
 長崎訪問での女房のお気に入りであった。二本クスノキのそばに、国際墓地があるのだが、そこに、名誉市民なのに質素な永井隆の墓を女房が見つけた。

彼が晩年に支援者のボランティアが作った二畳ほどで生活した如己堂と呼称した建物も永井隆記念館隣に鎮座していた。

山里小学校防空壕跡 2019/01/21

永井隆記念館の職員が紹介してくれた山里小学校を訪問した。小学校の一角にある原爆資料館と裏手にある防空壕跡も見られた。
 小学校を卒業したボランティアが丁寧に説明してくれた。小学生も被爆遺構に囲まれて学習し、被爆中心地は街全体が被爆記録にあふれていた。


「夜景あるいは遠景」の巻

風頭公園龍馬像から夜景 2019/01/17

ホテルにチェックインした後、体力も残っていたので、風頭公園からの夜景をと思ってバスで途中まで行き、暗いなか龍馬像まで歩いて、長崎湾西側を撮影した。
 龍馬像からは樹木が邪魔をして市街が構図に入らない。暗くてわからなかったが、後日、すぐ隣に展望台が有りそこからは一望できた。

大波止からの長崎湾北側の夜景 2019/01/17

食事に出た後、出島の北隣にある大波止から、長崎湾北側を撮ってみたが下手で見られない。

風頭山展望台からの遠景 2019/01/19

眼鏡橋から寺町経由で552段のへいふり坂を汗いっぱいで登ると風頭展望台が有り、そこからの長崎市内遠景である。

稲佐山展望台からの夜景 2019/01/19

夕方から稲佐山からの夜景を撮りに行こうと、ロープウェイを使わず、ホテルからバスで稲佐山公園まで行き、20分ほど歩いて稲佐山展望台まで行った。
 前日もレンタカーできたのだが、気に入った写真が撮れなかった。そこで再度の挑戦だが、やはり写真はいま一歩ではなく、いま数歩で気に入らないし下手と言える。

グラバー園からの遠景 2019/01/20

高台にあるグラバー園は、長崎湾がよく見える。さすがイギリス商人はよく選んだ。

鍋冠山展望台からの夜景 2019/01/20

グラバー園の第2入り口から鍋冠山の夜景を撮りに行った。ここは稲佐山の対面で、長崎湾が西に見えるところが長崎らしい地形であった。
 鍋冠山の展望台は立派なトイレと回廊式展望台もあり、稲佐山と違って夜景見物は数人で、下手ながらゆっくり撮影ができた。


「長崎は坂と階段」の巻

ヘイフリ坂 2019/01/19

眼鏡橋から五分ほどで寺町の弊振坂入り口である。ヘイフリ坂は風頭山から麓まで石を運ぶとき、宰領が石の上に乗り御幣を振って励ましたとかで、風頭山130mの頂上まで552段の階段坂である。 長崎は坂の町ではあるが、ダウンやセーターを脱いで歩くほどきつかった。

オランダ坂 2019/01/20

今日は有名な坂を三ヶ所訪問した。路面電車のメディカルセンター駅で降りて、南に進みオランダ坂通りに石柱でオランダ坂の案内があった。幅広い石畳みの坂道が続くが、これがオランダ坂ではない。

石畳を数分歩くと、左折する側にいわゆる本来のオランダ坂があった。短い坂だが、のぼると洋風住宅街があった。

祈念坂坂 2019/01/20

大浦天主堂の東脇に祈念坂が一直線で、両サイド苔むした塀が続き、風情を感じた。

どんどん坂 2019/01/20

グラバー園第二入口から降りていくと、短い坂で歩いていて見落としそうだった。近所の人によると下から見た方が良いらしい。

下から見たどんどん坂だが、普通の坂であった。

どんどん坂の途中だが、アーチ型の門と塀が石積みであった。超広角レンズで撮った私の写真に自画自賛で惚れてしまった。

鍋冠山展望台への登山道 2019/01/20

園から展望台まで20分と調べたので、まだ、陽も落ちないのでゆっくり登った。細い道だが白いアスファルトに頂上まで手すりまで付き歩きやすかった。陽が落ちて真黒な時間に、ここを使って降りてきたが、街灯まで付いているので危険はなかった。
 東京だと街中は明るいので、山道は自然道で暗いのだが、長崎は山登りも明るいのである。そういえば、稲佐山まで歩いて登った時も、車道と色違いの歩道があり、ライトも点いていた。素晴らしい


「潜伏切支丹の里」の巻

浦上天主堂前の拷問石 2019/01/17

浦上天主堂の前に大きな石があり、それには潜伏切支丹の拷問石と書いてあった。拷問の際に 正座させられ、責め苦を受けた、庭の飛び石を移築保存したものらしい。

枯松神社と隠れ岩 2019/01/18

今日は予約の安いレンタカーで、長崎市内を北に40kmほどある外海地区の潜伏切支丹の里に出かけた。遠藤周作の「沈黙」の舞台になったところである。
 最初は潜伏切支丹が隠れて祈った場所である。最初は枯松神社で、この地に神社を建立し、日本人指導者バスチャンの師であるサン・ジワンをここにまつった。神社洞内に石の墓が鎮座、切支丹をまつった神社は全国的に珍しいらしい。写真の一番右側に石板を倒したのが見えるが潜伏切支丹の墓らしい。
 ここは長崎旅行でのお気に入りは、女房と私が一致した。

枯松神社の手前に潜伏切支丹数人が隠れて祈った祈りの岩と呼ばれる大岩があった。

神社の隣に日本人墓地があり、切支丹信者名が書かれた墓碑もあった。それより、びっくりしたのは、墓石に刻まれた銘が金色であった。聞くと長崎だけでなく九州一帯が金色銘だと言っていた。

黒崎教会 2019/01/18

ド・ロ神父の指導で敷地が造成され、完成までに20年近くかかったらしい。遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ教会で、信徒が奉仕と犠牲の結晶としてレンガで造られ格好が良い。

教会は外国含めて多数見ているが、ここはステンドグラスに太陽光が上手く差し込み、床に投影されて、ステンドグラスの素晴らしさを現す見事な演出であった。
 長崎旅行で女房と一緒に高評価を得たお気に入りである。この写真にも自画自賛で気に入った。

ド・ロ神父記念館と出津救助院 2019/01/18

ド・ロ神父記念館は、ド・ロ神父が使った遺品がたくさんあり、宗教だけでなく医師でもあり建築もこなすフランス出身の指導者だったと、受付のおばさんが丁寧に教えてくれたので入場料の300円は価値があった。

記念館の前は、ド・ロ神父の出津救助院であったが、写真のみで入場はしなかった。

遠藤周作文学館 2019/01/18

遠藤周作記念館は角力灘が目の前で雄大さが素晴らしい展望にあった。潜伏切支丹を扱った「沈黙」と「切支丹の里」を読んだので、興味があったが、私的には感動が今一歩であった。
 私は将棋も趣味とするが、遠藤周作は囲碁が好きだったらしく、八畳位の居間空間に掛け軸と碁盤だけが鎮座してあったのが印象に残った。

出津教会 2019/01/18

出津教会堂はネットで予約が必要とあり、メールで予約したので興味と期待が強かった。予約時間ピッタリに訪ねたが、誰でもウエルカムでありがっかりした。
 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成される世界遺産である。ド・ロ神父の設計で、強い海風に耐えられる木造平屋と漆喰の白い外壁が美しかった。>

黒崎教会の影響が残って、この聖堂内は予約にもかかわらず感動がない

大野教会 2019/01/18

遠藤周作文学館から車で10分くらいで大野教会がある。ド・ロ神父の私財と設計で建てられた、平屋建、瓦葺きの教会である。北面と東西側面の外壁は「ド・ロ壁」と呼ばれ、玄武岩の切石を漆喰で固めた壁で、珍しい作りであるらしい。

教会堂内部には傷みが進んで入れず、外窓から撮影の内部である。

仲町教会 2019/01/19

長崎駅前から数分の仲町教会は、原爆で外壁と尖塔を残して焼失した。その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され、貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けているということで訪問した。

長崎駅前にあるにしては大きな教会で聖堂内もシンプルであった。

26聖人祈念碑 2019/01/19

仲町教会から10分くらいの26聖人記念碑は、秀吉の禁教令で耳を削がれた後、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ていると、子供を含む26人は西坂の丘を処刑の場として望んだらしい。
 碑の裏に記念館があるが、そこは疲れが出てパスをした。

大浦天主堂 2019/01/20

大浦天主堂は、日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者天主堂で26聖人記念碑に向かって立っている世界遺産である。(wikipedia)
 聖堂東側に信徒発見だと思われる壁画彫刻があった。聖堂は格調が高く、西欧の中堅どころの大きさであった。

聖堂内部も幅員が狭いが、品格にあふれており、厳かな気持ちを抱いた。

聖堂横のキリシタン博物館では、重厚な踏み絵があった。


「訪問した観光名所」の巻

唐人屋敷跡 2019/01/19

風頭公園から龍馬通りを降って唐人屋敷跡を訪ねた。唐人屋敷跡と書かれた大きな門を入ると、日本人住宅街だった。

右側に土神堂、左側に福建会館がある程度で、感動の低い屋敷跡であった。

唐人屋敷跡から数分で10店に満たない新地中華街があった。入口が中国らしい店構えに入り、長崎で有名な皿うどんを、女房は細麺で、私は太麺で食べた。太麺の方が美味しかった。

オランダ商館と出島表門 2019/01/19

オランダ商館跡は予定には入っているが、入口に雰囲気がなく入場料の610円を出し渋る気持ちになった。
 入って見るとガラリ変わっていた。ミニ出島で全景が分かり、出島表門には武士が警護しており風びだった。

オランダ商館跡も綺麗に再現されており、疎開化された歴史や当時の生活・風俗・生産物など隈なく見ることができた。武士があちこちにおり案内をしてくれ、予定の一時間以上滞留した。

孔子廟 2019/01/20

台湾の孔子廟は訪ねたことがある。日本ではここが一番らしい。600円は高すぎる

グラバー園 2019/01/20

グラバー園はイギリス商人の旧邸宅に異国情緒を楽しんだ。
ウオーカー邸

リンガー邸

オルト邸

ここではメインのグラバー邸は工事中であった。


長崎旅行のまとめ

前から行こうと思っていた長崎市訪問を、五泊六日の個人旅行で実現させた。主な訪問先は、被爆関係9ヶ所、切支丹関係11ヶ所、長崎駅周辺と東側の歴史地区6ヶ所、長崎駅南側の歴史地区8ヶ所、長崎の坂4ヶ所、長崎湾夜景の3ヶ所など40ヶ所を廻った。

 合計歩数は102000歩、平均17000歩。歩行距離70km、平均12km。レンタカー走行距離110km。登坂階数176階、平均29階。バスと路面電車の長崎スマートカード9000円であった。

 長崎人は行く先々で会話できた人が多く、偉ぶるところがなく会話が途切れることがなかった。乗り物ではほとんどの人が座らせてくれるなど一応に親切でフレンドリーであった。

 食事関係では、駅前や街中でも食べるところが少なく、探すのに苦労し、種類も少なく同じ場所に重複出かけたし、昼食などはコンビニで調達することも多かった。

 市内の移動では4路線の路面電車で乗り換え可能と均一料金で便利この上なし。東京では信じられないほどのバス本数の多さにびっくりした。平地では道路幅も広く交通混雑もほとんどなくマナーも良かったので、旅行者には幸運だと思えた。

 なんといっても交通系ではsuicaが使えず、長崎市だけに通用するプリペイドの「長崎スマートカード」が大活躍することになった。長崎の方は利便性が高いのであろう、ほとんどの方が利用していた。私たちもこれで問題はなかったし利便性が高かった。

 原爆と切支丹および西洋との接点などの見所満載である。五日間で有名な箇所をほとんど訪問できるほどの地域であった。生活道路では急斜面の坂や階段が多く、歩行者も大変だろうが、バス網が発達しており、狭く高いところまで縦横無尽に走っている。坂の関係で自転車がほとんどないことも特徴であろう。

 訪問先ではどこもトイレが充実しており、どこもきれいで衛生的であり、旅行者には助かることで誇れると思う。

 女房と二人で共通のお気に入りは、枯松神社、黒崎教会で、私は長崎の人と各種の坂、女房は永井隆記念館であった。ありがとう!長崎!